器さん
山ひとつあたためてゐる冬すみれ
今日、行きがかり上、席についてしまった会合で
俳人・神蔵 器(かみくら うつわ)氏についてのお話をうかがいました。
短い話の中
氏の言葉として
「俳句とは、相手(対象)を輝かすもの。
俳句を始めたばかりのときは自分と相手が五分五分だったけれど
長く作っているうちに自分の割合が削れていって
今では自分が一、対象が九」
と、あったのがこころに残りました。
昨日
ハンス・コパー展で
彼の言葉として紹介されていた文章の一節
「わたしはその工程の一部になっていく」
にも、どこかリンクしているような気がして、、、
さらには
7月の益子「ウォーレン・マッケンジー」展での
「窯で焼かれたたくさんの陶器の中で
その後何年も輝いていく作品は
個人を超越し普遍的な経験への扉となる」
を思い出し
相手を後世にまで輝かせることができたら
1は0になる(個人を超越する)のか!
という、勝手な理解にまで繋がりました。
相手を輝かせる。
土の塊を前にして
今までそんなことを思ったことはなかったけれど
それができたら
自分も輝けるのでしょう。
よしっ、まずは
自分9あたりからのスタートだ(←レベル低すぎます)
by katachi_web
| 2010-09-06 01:04